Sunday, November 27, 2011

進化と大衆

ご無沙汰です。4年の博士課程の内、3年間の実験期間の終わりが近づいてきているので、特に実験が忙しいです。11月はじめにもグルノーブルのシンクロトロン放射光施設へ行きました。自分の博士課程では最後のシンクロトロンでしたので、それ以降はもっぱら生化学系の実験を終わらせることに時間を費やしています。

時に、かなり前にキンドルを買いました。モデルリニューアルの前でしたので、キーボードありの3G無しモデルです。「これでいろんなジャンルの本を読破してやるぜ」なんて当時の勢いはどこのその、結局は生物の本ばかり読んでます。リチャード・ドーキンスのThe Greatest Show On Earth(進化の存在証明)を読み終え、今はニック・レーン(Nick Lane)のLife Ascendingを読んでいます。そんな中、自分の心を掴んでやまない、進化について積もりに積もった感想などを今回は垂れ流そうかと思います。


自分は一般大衆の科学についてどう思っているか、ということに関心があります。とくに生物の進化、そして科学全般にも係る人々の意見などです。日本ではあまり関心がないことかもしれませんが、大局的にはいずれ重要になることと思います。

まず最初に - これを最初に書くことは実は極めて不本意なのですが - 進化に限らず、ある事柄が事実かどうなのかに興味がない人へ。当人にとってはどうでもよいことでも、社会全般には大切なことがあります。たとえばアメリカでは40%近くの人々が進化論を否定し、そのような人の中には権力を持ち、政策にかかわる人もいます。十二分に可能なシナリオとしては、聖書に沿った創生論が生物学の教科書にのることや、生物以外に視点を向ければ、効き目のない詐欺同然、インチキの代替医療が莫大な儲けを得ていることをみすみす見逃すことになるなど、です。そのような社会に将来の自分たち、さらには親族や子孫たちが住むことを想像してみてください。社会レベルで科学を認めるのは大切なことだと思います。

進化は本当なのか、嘘なのか。

自分が大学院で研究を行っているクイーン・メアリーの生化学学部でも多数の学部生、特にイスラム教の学生などが進化を真向に否定していますが、彼らはいったいどのような気持ちで進化を否定しているのかが不思議です。科学とは実験、議論、実証を繰りかえし積み重ね、手持ちの知識をより真実に近づけていくものです。そのプロセスの中で仮説があれば、もちろんそれは反証されえますし、進化も例外ではありません。実際、哲学的には我々には一つとして証明できるもの等、ないのかもしれません(カール・ホッパー)。しかし、そのような手探りの中で我々が得たものの中には極めて事実に近いと思われる事柄があるのは事実です。薬を飲めば、病気は早く回復しますし、物理の法則を理解し、軌道を予測して打ち上げられた人口衛星は実際にテレビの電波を飛ばしています。それならば、それらの事柄と同じような信頼度で立証された事柄、しかもそれは多数の証拠から立証されているとなれば、理由もなくそれを否定するのは滑稽に思えます。進化論とはもはや遺伝学、古生物学、分類学など、幾多の分野によって維持され、どのようなメカニズムで起こるのかの説明がなされています。この時点で、いくつも存在する各宗教の聖書による創造論よりも、進化論のほうが妥当と思われます。

創造論を支持する人々は進化論は仮説に過ぎない、と論じますが、創造論が進化論と同じレベルで科学によって立証されているかについては彼らは論じません。挙句の果てには「お前は聖書を読んだことがあるのか」などと問われますが、聖書の内容を仮説とし、それがなぜ事実であり得るのかを証明しようとした試みは、科学の文献に比べ少ないと思います。

年月と科学によって 切磋琢磨を重ねた医学の恩恵にあずかる傍ら、同じような科学のプロセスを経た進化をさしおき、何の証拠もない創生論を鵜呑みにするというのは一貫性に欠けると思うのは自分だけでしょうか。しかも、それは自ら科学を学ぶ道を選んだ、上記の学部生たちによって行われているというのです。




いろいろと言いたいことを垂れ流しましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。結局のところ、わずか人口の一部分しか食料生産に係っていないこのご時世、過剰生産は通貨として経済を回していますが、それが自分が人類の進歩を助け、社会の安定に役立つと信じている科学の発展に使われるかどうかは納税者が決めることです。ここに何か書くことによって、各々が少しでも自分の見解を持つことを促せれば幸いです。ネタも乏しいブログですが、文章を書くことによって自分のわずかしか残されていない日本語脳の活性化も図れば一石二鳥です。