Thursday, August 5, 2010

愉快な論文

未来ではシリコン型のチップは廃れ、代わりに大量生産されるネズミの脳がコンピューターのCPUとなる・・・なんてSFちっくな妄言を聞いたことがありますが、最近ネイチャーに乗った論文がある意味それにとても近いのではと思います。 

Predicting protein structures with a multiplayer online game

構造生物学:タンパク質構造予測をクラウドソーシング

 この論文では人間の直感がタンパク質の折り畳みを極めて正確に予測できるということが分かったと、著者らは論じています。この文章だけで眼の色を変え、身を乗り出して記事のリンクを踏んだ方 - 貴方は俺の同士です。それ以外の方も、難しいことではないので是非続きを。

数え切れない程の種類のタンパク質は、私たちの体を形作り、また色々な働きを担っています。それらのタンパク質は、ほぼ例外なく高度な3次元的な構造をしており、それは「折り畳み」と表現されます。タンパク質は20種類のアミノ酸からできた鎖であり、それら一つ一つは何種類もの配置が可能です。結果、比較的小さなタンパク質でも1000次元ほどの配置の組み合わせが可能であり、それがタンパク質の構造を予測する際の、難しさでもあります。しかし、コンピューターの性能やアルゴリズムの進歩により、近年ではタンパク質の折り畳みを総当り的にシミュレーションし、正しい構造を予測することが妥当だと思われるようになってきました。


今回、この論文では二通りのタンパク質の構造予測の方法を比較したものです。それらは
  • "Rosetta@home"というインターネット上のコンピューターの空き時間を有効活用し、総当り的にタンパク質の折り畳みのパターンを予測するプロジェクトと、
  • ユーザーにゲーム形式でタンパク質の構造を与え、プレイヤーは直感を駆使して正確なタンパク質の折り畳みを当てる、"Foldit"プロジェクトです。
結果、色々な側面において、人間の直感が総当り的な計算方法よりも優れているという結果が出ました。特に、人間はコンピューターのアルゴリズムが苦手とする、「まず一旦、今の構造を崩し、大局的にみて将来的に有望そうな配置を選び、それを素に結果的によりより構造を作り上げていく」という作業が非常に得意だそうです。コンピューターならこの場合、最初の構造を一旦崩す段階で、スコア落ちるのを機に、その候補を排除してしまうのです。これに対し僕は「人間は高度な先見性をもっている」という、普段聞けば「当たり前じゃん、バカじゃねーの」というような事ながら、コンピューターという無機質な物と比較したときに際立つ、素晴らしさを感じます。


一方で、コンピューターが人間より優れている場面とは、パズルのお題となる素の構造が、まったくヒントのない、まっすぐなアミノ酸の鎖として出された時だそうです。この場合、考えうる候補が天文学的な数字となるので、今までの研究の結果によりチューニングされたアルゴリズムと圧倒的な計算力を備えたコンピューターの方が、素人の人間よりも有利なのではなかろうかと思います。(Folditプロジェクトは科学と無縁な一般的な人々をプレイヤーとすることを目的の一つとしています。)


この論文より、いくつかの将来的な課題が考えられると思います。
  • 人間の思考パターンをどのようにアルゴリズムに取り込めるのか。
  • 人間・コンピューターの混合リソースをいかにに有効に活用できるのか。
  • 今までのプロジェクトを発展させ、さらに効率的で正確なタンパク質の構造予測法の確立。
自分にとっての注目は3番目です。自分は結晶学という、タンパク質の構造を予測ではなく、実験により明示的に調べるという分野に携わっています。「予測は方法がなんであれ、卓上の計算に過ぎない。実際の構造を調べるには明示的(explicit)な方法でなければいけない」というのが我々の主な主張です。しかし、一つまた一つ、とタンパク質の構造が実験により解析されるにつれ、それらを組み入れた、タンパク質構造予測がどんどん正確になってきているのも、また事実です。さらに、近年は全く新しいタンパク質の折りたたみパターンは発見されていません。既に、主な折りたたみの種類は発見されていると考えるのが妥当でしょう。ならば、アミノ酸の鎖の順番がわかれば構造が予測できる、なので構造生物学者は全員即刻クビにすべきだ、という考えも生まれるかも知れません。


しかし僕は結晶学をはじめとするNMRなどの構造生物学が廃れることはない、と確信しています。タンパク質の構造を知る際のモチベーションとなるのは、大まかな構造のみではなく、細かなディテールが左右するその仕組みを知ることでもあります。また、その働きを始める前と終えた後の違いを検証し、正確なタンパク質のメカニズムを知るということは、その大まかな形(Backbone,背骨と表現されます)を知るだけではわかりません。結晶学者たちは今しばらく、納税者から見放されることはなかろうかと思います。


この論文は何故か久しぶりにワクワクとさせてくれました。今は遠い、カラフルな図鑑を見て「科学は素晴らしい」と 思わせた日々を彷彿とさせます。もちろん今でも僕はそう信じて疑いませんが。自分は、"Foldit"の存在を前から知っていたので、その結果がネイチャーという最高の晴れ舞台にでたことが愉快なのかも知れません。

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